こんにちは。たんこです。
脳外科病棟で看護師をしていると
手術に対する不安や恐怖を抱えている患者さんに会うことがあります。
今日は、自分なりに「寄り添った看護」をしたけど
思ったような結果ではなく落胆した、というお話です。
手術を前に不安で泣き出した患者さんとの出会い
その患者さんは、頭を切って手術する「開頭術」を予定している方でした。
入院時からなんとなく顔がこわばっていて
会話していてもなんとなく違和感があり
「明後日手術ですが、何か考えていることや思うことは
ありますか?」
と聞いたら
「怖いです。とにかく怖い。本当は帰りたい。」
と不安を訴えながら泣き始めました。
どう声をかければいいのか分からなかった私
正直、そのときの自分は
「不安を聞きだしたのはいいものの、なんと声をかければいいのか・・・」
でした。
若い頃は、「不安ですよね。でも大丈夫ですよ。」なんて言ってたと思います。
でも、わたしも34年間生きていますのでf
言葉は優しくても、その中身の軽さや
応援の言葉をかけられても励ましにならないこと
たくさん経験してるんで
このとき、とても考えました。
「不安ですよね・・・怖いですよね・・・」
と、一旦、気持ちを受け止めてみました。
「わたしなら、どういう言葉がほしいだろう。」
「いや、今は言葉がほしいわけじゃないかもしれない。」
「このどうしようもならない気持ちをどうにかしてほしい。」
「どうしたらいいの。誰かたすけて。」
いろんな考えが頭の中に浮かんで
わたしがその患者さんにかけた言葉は
「手術が怖い。不安だ。って思ったら「怖いです。不安です。」って吐き出してください。もし、怖くて嫌になって帰りたくなったら、言ってください。先生に掛け合ってみますから。」
って言ったんです。
そしたら「じゃあ、帰る。帰らせて。」って。
一瞬、正直困りました。
「帰りたい」と言われたとき、私がまず伝えたこと
でも、その患者さんの病気は「脳動脈瘤」で
今回の手術は
「いつ破裂するか分からない動脈瘤を、破裂する前に手術して予防しましょう」という手術だったんですね。
もし脳動脈瘤が破裂したら「くも膜下出血」、最悪死に至る病気です。
なので、「そうですか。わかりました。」と返事をし
「帰る前に、ひとつだけお話していいですか?」と私は続けました。
正直、気持ちはヒヤヒヤの汗だくで
「帰っていいなんて言った看護師はだれだ!どうしてくれるんだ!」と先生に怒られるのではないかとヒヤヒヤでした。
「○○さん。今回の手術は、動脈瘤の破裂予防のための手術ですよね。いつ破裂するかわからないから、そうなる前に手術して防ごう。破裂したら、生きていても社会復帰できるかもわからない、最悪死に至るかもしれない、だから、手術しよう。で同意されてここに来たんですよね。手術も大きな手術です。怖いのは当然です。帰りたくなるのもわかります。でも、もし帰ったとして、いつ破裂するかわからない動脈瘤を心配しながらずっと生活されるのですか?」と話しました。
「・・・。たぶん、このまま帰ったら、きっと後悔すると思う。動脈瘤を気にしながら生活するのは、嫌。」こう話してくれました。
ここで「じゃあがんばりましょうよ!」なんて言うことはせず
きっとこの言葉は今いらない、むしろ傷つけてしまう気がして
わたしは
「わたしも、後悔するのではないかな、と思います。当事者じゃないから100%気持ちをわかってあげられない、それは本当に申し訳ないです。」と言い
「まず、今晩ここで過ごしてみませんか。」と提案しました。
本当に患者さんが「帰る!」って言ったら、もう先生に土下座しよう。
その覚悟で言いました。
でも、今日ここに「入院手続きをした」ということは
「手術を受ける」という前向きな気持ちがほんの少しでもあるからだと思ったんです。
本当に帰りたくなったら、きっと今すぐ帰るだろう。
でも、「帰りたいけど帰れない。手術しないと。でも怖い。」という気持ちで、
患者さん自身もどう気持ちを落ち着かせたらいいのかわからないのかもしれない、と感じたんです。
患者さんは
「ねえ、わたしどうしたらいい?」と言いました。
とても困りました。
だって私には「どうにもできない」から。
少し考えて、私はこう言いました。
「怖い。不安。という気持ちを、吐いてください。わたしたちはそれを聞きます。その不安をゼロにはできないかもしれないけど、聞きます。明後日の手術台に乗るときまで、麻酔で眠ってしまう直前まで、不安を吐き出してください。」
その患者さんは涙を流しながら、「ありがとう。ごめんなさい、困らせて。」と言いました。
患者さんの不安を受け止め続けた日々
わたしにできることは、あと、なんだろう?
そう考えながらその部屋を退室し
頭の中に浮かんだのは
「とにかくこの人を気にかけること」でした。
手術の明後日まで、この患者さんの部屋に毎日顔をだしにいこう。
もしかしたら、そこまでしなくていいのかもしれない。
鬱陶しがられるかもしれない。
それでも、やってみよう。これが私の考える看護だ。
そう思い、手術当日まで毎日顔をだし
「なによ、毎日顔だしにきて」
「今日は遅かったじゃないの、来ないのかと思った」
など半分嫌味を言われながらも
毎日顔をだしました。
手術当日、朝一の手術だったので
朝出勤して私はすぐに患者さんのところへ。
きっと、泣いたんであろう涙目な顔で手術着になって待っている患者さん。
「おはようございます。今日が来ましたね。まず、今日までここにいることをがんばりましたね。あとは手術です。手術、ファイトです。」そう言葉をかけて握手しました。
「とうとう今日が来ちゃった。怖い。」と
不安を口にしながらも
少し笑うことができている患者さんをみて、安心しました。
手術後の患者さんのこと場に、心が疲弊した話。
その患者さんは、無事に手術を終え
回復も早く術後2日でICUから一般病棟に戻ってきました。
戻ってきたときに
「お疲れ様でした。無事に終わって良かったですね。」
というと
「あ!あの看護師さんだ!こわ~い!」と冗談交じりの発言に
わたしは驚きました。
言葉で表せないけど
「なんか、思ってたのと違う・・・」
そんな気持ちです。
別に「ありがとう」とか「あのときは助かった」とか
見返りを求めてたわけじゃない。
でも、こういう態度をされると
え?という驚きと、少しのイラつきも感じました。
「あんなに泣いてたのに。嫌味を言われながらもあんなにいろいろ考えて関わったのに。」
そんな気持ちがこみ上げてきました。
数日後、患者さんは無事退院していきました。
言われた日の衝撃は、その翌日にまで続き
私の心は、思ったよりも疲弊していました。
見返りなんて求めてない。って思ってたけど
”わたし、ほんの少しでいいから、患者さんからの「感謝」を求めてたのかも。”
そう思いました。
それでも、私は自分の看護をした
時間が過ぎれば、ほとんどの問題は解決するものです。
疲弊した心も回復し、あのときはあんなに悩んで、言葉を選んで
葛藤しながらも自分の考える看護をした「寄り添いの看護」は
今はあっさりしたものになったけれど
「わたしはちゃんと自分の看護をしたんだ。」
という記憶が
看護師のわたしをまたひとつ強くさせてくれる気がしています。



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